スリランカ旅行《5日目・帰国》

私が乗る飛行機は19時過ぎのフライト。

17時頃には空港に向かう予定。

この日は、ベビーの体重測定があるとのことだったし、前日のコロンボでの友人の落ち込みよう(荒れようというか・笑)もあったしで、出発まではのんびりかなー?と思っていたら…

ベビーの体重測定から戻ってきた友人が

「ニゴンボ行くつもりなんだけど!」

と提案してくれた。


*漁港の町・ニゴンボ

人気のビーチリゾートであり、漁港でもあるので朝には鮮魚の市場なども開かれるニゴンボ。

友人宅からも車で2~30分の距離だった。

車でビーチまで入ってもらうと目の前には遠浅の海が広がっていた…!

友人夫婦にとっては最も身近な海とのこと。そしてベビーにとっては初めての海原!

どんな国の、どんな季節でも、海は広いな大きいなで、見るものの心をザブンとしてくれる。

潮の匂いも、日本と変わらない。


友人家族と並んで、写真を撮ってもらった。

友人家族だけの写真も、私が撮った。

私の友だちが、異国の地で築いた家族の姿。

時間いっぱいスリランカを案内してくれて感謝!


*ついに帰国の時…!

一度帰宅し、シャワーを浴びて、荷物をまとめたら空港へ出発。

迎えの車が来た時、突如友人が泣き出した。

空港の入口までは一緒に行ってくれるというのに、クライマックスがやや早い。(笑)

堪らず私も泣いてしまう。

「もっと、たくさん、スリランカのいいところ、楽しいところ、教えたかったのに、思ったよりなんにもできなくて、ごめんなさい、来てくれて、ありがとう。」

なにを、言うのか、この子は。


このブログをここまでお読みくださってる方はわかると思うけど、私はじゅうぶんスリランカを楽しむことができたと思う。

それは旅の準備段階からすでに始まっていた。

もちろん私が見たものだけが、スリランカの魅力の全てではないけど、私なりに異国の刺激の中にどっぷりと身を投じたつもりだ。

それに、私にとってなによりの旅の目的は、この友人に会うことだった。

友人との再会、そしてその伴侶と子どもとの邂逅。

それは、スリランカでなくてはならなかった。

彼女が20代からの10数年をかけたものの姿と、その果てに彼女が異国の地に築いたものを、私はこの肌身で感じることができた。

だから、満点の旅だったと思っている。

でも、この時の友人の涙からは、彼女がこの地でどんだけ踏ん張って立っているのか、どれだけ不安でどれだけムカついて、でもスリランカでなくてはならない理屈では説明つかない不思議な紐付けでもって、ここに根ざさなくてはならなくなったキツさも伝わった。

「そうだったんだ…」とわかった。

「そうだよなぁ。」と思った。


*空港でひとり

空港の入口で見送られてひとりになると、突然の浮遊感に包まれた。

周囲の利用客からは、日本語も聞こえるが、中国語・英語、フランス語?韓国語?インド?その他何語か判別できない言葉が混沌と混じりあって聞こえてくる。

チェックインや審査は混んでいてごった返しており、様々な肌や髪の色に塗れて、ひとりぼっちの私は、あっという間に、自分が「どこに根ざす何者なのか」見失った。

おじさんに横入りされたけど、なにも言えなかった。


それで、わかった。


私が私であるという証明は、

私の言葉と、

私を私として愛してくれる家族や友だちに

依存している。


悪いことではなくて、当たり前のことだから、だれもがきっとそう。

存在の証明が、自分以外のだれかにも依存できることは、たぶん幸せなことだ。

それは、自分がひとりではないということと同義でもあるだろう。


わざわざ生まれ育った祖国を離れて、ある国に根ざしていくということは、この存在の証明が一旦ゼロになり、また一からやらなくてはならないということなのだ。

私の友人は、それをしたのだ。

「すげえ。やべえ。なにあいつ。とうとい。」

と、ひとり泣きながら、私はついにスリランカを飛び立った。


ごめんなさい。
旅の終わりは、やっぱりセンチメンタルでした。
悔しいけど。


でも、最後に友人の涙から感じたことと、空港で感じたあの感覚は、今回の旅の極めつけだし、この後10年の私を支えると思う。

もうすぐ成田に着陸、の頃の朝焼け。美しい。

♪…耳のお供は ~坂本真綾「トピア」


以上で、2016年2月のスリランカ旅行の記事は終了です。

お読みくださった方ありがとうございました!

KIMURA HARUKA

木村はるかが140文字をオーバーする時。

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